毒親育ちの特徴!それは友人が少ないこと

毒親育ちの場合、友人が少ないことが多いです。一見、友人の数が多く見えても、実は不健全な関係を築いていたり、友人同士で憎みあっていたりするのです。つまり、名ばかりの友人しかいないことも多いのです。
実際のところ、毒親育ちは、友人として付き合いたくないような人たちかもしれません。この記事では毒親育ちがどんな風にして「本当の」友人を遠ざけてしまうのか、具体例を紹介します。
また、どうしてそのような交友関係を作ってしまうのか、メカニズムを説明しています。もし、友人関係がうまくいかないと悩んでいるのであれば、ぜひ一読してみてください。ひょっとしたら、毒のある友人関係を築いているのかもしれません。
友人が少ない理由:相手の意見は全否定する
毒親育ちは、自尊心が低いので、無意識に相手の意見を否定していることがあります。また、これまでの親への怨みを、友人に無意識に返してしまうことがあります。
当たり前ですが、この無意識の言動が友人を遠ざけているのです。例えば、友人が、自分と違う意見を持っていると「それ、変じゃない?だってさあ・・」なんて言い出して、相手の意見を否定するのです。そして、相手を否定することで(攻撃することで)ストレスを無意識に発散しているのです。
ところが、こういった発言は、毒親育ち自身としては、何の悪意もなくしていることも多いのです。つまり、「相手の意見を否定している侮辱的発言」だという認識がないのです。むしろ、友人が間違った道へ行くのを止めるために言っただけだと思っており、いいことをしたとすら思っています。
こういった発言は、無意識レベルでは友人の意見を受け入れていないだけの可能性があることに、気が付く必要があります。その「発言」は、言った後に、なんだかすっきりしたり、満足感を覚えたりしませんか?もしそうならば、友人と楽しいコミュニケーションしているのではなく、無意識に自分の自尊心の低さの埋め合わせを行っているだけの代物に成り下がっている可能性があります。
こういった人間関係を無意識にやっていると、「友人に親切にしても嫌われる」という状況になりやすかったり、本来だったら気の合うはずの友人がどんどん去って行ったりするでしょう。
毒親育ちが変な人と友人になってしまう理由
人格否定発言を肯定してしまっている毒親育ち
毒親育ちの場合、毒親から人格否定発言を平然と受けてきたこともあり、人格否定発言をする人を肯定してしまう性質が残っていると思われます。
たとえば、親に「そんなことやめなさい。あなたのために言ってるの」なんて言われたので、今でもこういった人格否定発言を「当たり前」としてしまっています。また、こういった指摘を聞かない人は「自分の欠点を直視できないダメな人」だと思っていたりします。大きなお世話、とは取れないわけです。
そうゆうわけで、毒親育ちは、上記のような人格否定発言をする人を「嫌な人」と断定出来ません。これは、こういった人たちと「友人」になってしまうことを意味します。
人格否定発言をする人とは本当の友人にはなれない
ところが、人格否定発言をする人とは、友達になんてなれません。なぜなら「人格否定」されると、気分が悪くなるわけで、心のどこかで、このような友人のことは憎んでしまうからです。すると、友人に不幸があれば喜ぶようになったりします。もう、この時点で名ばかりの友人関係に成り下がってしまっています。
互いに「あなたのそれは間違っている。やめた方がいいよ。」なんて言いあう関係は「友人の関係」ではないのです。でも毒親育ちは、こういった否定発言を「いいこと」として認識しているため、なかなかここが分からなかったりします。そうゆうわけで、本当の友人というものが持ちにくいのです。
毒親育ちは、相手への好意の示し方が分かっていない
前述しましたが、毒親育ちの場合、人格否定をしても、本人はしているつもはこれっぽっちもなく(ぞっとしますね)、ひどいと相手のためになることを言っているつもりです。
実際のところ、毒親育ちは、相手への好意を示す、ポジティブなコミュニケーション方法を知らないのです。知っているのは、相手にアドバイスするとか、非難するとか、そういった否定的なコミュニケーションだけなのだと思います。
健全なコミュニケーションとは
健全なコミュニケーションというものは、相互の意見を尊重しあうものです。つまり、相手の意見に共感を示すというプロセスが存在します。(毒親の特徴の一つに、共感を示さないということがあります。それについてはこちらの記事:毒親の特徴とは?それは共感性がないことをどうぞ)
この共感するというプロセスは、相手への好意・尊重を意味するのですが、毒親育ちの場合、こういったコミュニケーションを経験したことがないのです。
友人に去られるのは、共感性のないコミュニケーションをしているから
毒親育ちは、共感性のないコミュニケーションしか知らないので、友人に去られやすいのです。たとえば、以下のようなことを友人が言ったとしましょう。
「会社を辞めて、南米で暮らそうと思う」
さて、このとき、毒親育ちだったら、以下のような返答ばかりするでしょう。
「でもお金はどうするの?」
「危なくはないの?」
「社会保険はどうなるの?」
一方、同様のことを言う前に、「健全な人」は、次のような前置きがあると思います。
「へえ、素敵だね。南米ってそんなに良いところなの?」=相手への共感を示している
「南米大好きだって言ってたもんね。行けたらいいね。準備は進んでるの?」=相手への共感を示している
このように、まず、必ず相手への共感を示すのです。それなしにアドバイスなんかをしたら、相手を不快にさせてしまうため、このような前置きを必ずするのです。
これが、相手の意見を聞く、尊重する、ということです。このようにコミュニケーションをすると、人間関係がうまくいきます。
ところが、毒親育ちの場合、相手の意見を否定するようなことばかり言ってしまうため、嫌われてしまうというわけです。もちろん、いいことを言っているつもりなのかもしれませんが。
毒親育ちは友人に寄り添わない
共感をしないということは、相手の気持ちに寄り添うという発想がないということです。これは、とても冷たい行為です。でも、親にそんなことをしてもらった経験がない(練習していない)から、できないのです。毒親育ちの場合、寄り添ってもらうどころか、非難されてきました。
「お前が○○したから、こうなったんだろ!」
「お前が馬鹿だから、悪いんだ!お前の責任だ!」
「宿題をしないから、テストの成績が悪いんだ!」
と、屁理屈で、日常的に責められてきたので、これを友人にもそのままやってしまうのです。おまけに毒親育ち本人は、このときの怒りを、無意識のうちに友人にぶつけているのです。これが、毒親育ちの「正義を振りかざした攻撃」の正体です。
こういった攻撃は、友人へのアドバイス(例:「そんなことして大丈夫?」など)の形を取り、カムフラージュされることもありますが、健全な友人は逃げていくでしょう。共感を示してくれないどころか、アドバイスという形をとって非難されるんですから。
攻撃的なコミュニケーションに気づく大切さ
毒親育ちの場合、犯人が見つからないままで消沈している友人に「もう時効なんだから、諦めるのが正しいよ」などと、ひどい事を平気で言うことがあります。
こういったコミュニケーションは、毒親から「宿題をしないから、テストの成績が悪いんだ!」などの侮辱を受けたことによる内面の怒りを発散しているだけである可能性があることは、先ほど述べました。
とはいえ、毒親育ちとしては、本気で「友人がいざぎよく諦められる理由を言ってあげたつもり」だったりするのですよね。でも本当は、無意識に、親の代わりに友人を攻撃しているだけです。実は毒親育ちは、非常に攻撃的なコミュニケーションをしている可能性があることに気が付くことが大切だと思います。
「もう時効なんだから、諦めるのが正しいよ」なんて酷いことを、「友人がいざきよく諦めるために言ってあげたつもり」というのは、健全な方からすると、信じられないでしょう。でも、このようなことは毒親育ちには起こりうるのです。というよりも、そういったコミュニケーションしか知らないのです。
毒親育ちは、毒親から言われた「お前が宿題をしなかったから、テストで落第したんだ」というような文言を真剣に聞いてきたため、こんなことが起こるのだと思います。
「お前が宿題をしなかったから、テストで落第したんだ!」というひどい言葉ですが、健全な人からしたら、ただの「侮辱」として捉えることが出来るでしょう。全然寄り添ってくれてませんから。
ところが、毒親育ちの解釈はそうではありません。真剣に理解しているのです。つまり、毒親育ちの場合、まず、次の理解をします。
・「宿題をしなかった→テストで落第」という因果関係があること
そして、次のことを前提で、上記文面を解釈します。
・親は、この屁理屈を自分のために言ってくれたはずだ
つまり、毒親育ちは、「お前が宿題をしなかったから、テストで落第したんだ」という言葉に、無理やりポジティブな意味を見出すのです。
そうゆうわけで、「いざきよく諦める理由をいってくれたんだ」となったりするのです。本当は内面に怒りを抱えているくせに、「侮辱だ」とはどうしても解釈出来ないんです。
よければ、こちらの記事も参考にしてくださればと思います。→毒親育ちには友達いない理由
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